仕事

世界と闘うためには

世界と闘うと書くと、ものものしくなるか。きなくさい話しではないからこのまま続ける。

昨日は、G大で浮世絵の大会。3年がかりでようやく事典が出来上がったので、その販売に行く出版社の担当者とともに、顔つなぎをしてきた。
浮世絵は、所蔵権というものがあるらしい。しかし、本来はそういうものは存在しない。江戸期の作者(絵師)はとうに亡くなっているわけだから、著作権は切れている。所蔵権とは所蔵している者。美術館だったり、コレクターだったり。日本はその所蔵権を主張し何かに収載するときは、支払いを求める。ヨーロッパや北米はそれはないらしい。
金を出して集めたのだから確かに分かる気もするし、所蔵権やなにか規制がないと、いい加減な第何次使用かわからない適当なものができることになる。
いま浮世絵や俳句など非常に爛熟した日本文化は、世界のほうが盛んだ。
浮世絵はいまに始まったことではなく、明治から第二次世界大戦後の混乱の中、海外に出たものが多い。海外のコレクションはすごい。流出してしまったわけだ。
研究者も日本語はペラペラだ。彼らに英語や日本語以外の言語は研究上、必要ない。
さて、そういう相手とどう闘うか。大変な問題だ。

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ホームページ開設

ようやくホームページを開設することができた。いまは便利な世の中だ、としみじみ考える。いろいろマニュアルはあるが、読んでいいところは、コードの部分であとは、とにかくさわってみないとわからない。
これから、このホームページに追加していかなければいけないことが多くある。まだ不具合があるが、一応アップしてみる。
http://homepage3.nifty.com/koorosha/
柴桂子著の『近世女旅日記事典』は、私が企画したが東京堂出版発売なので、そちらから買える。
ぜひ、ご笑覧いただきアドバイスを頂ければと思う。

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飯田橋から駿河台へ

昨日は懸案の大手取次会社に行ってきた。以前の会社にいたときは割によく行ったものだ。なかよくつきあって貰った関係者が多い、が独立してから無精をの連続だったからどうだろうと思っていたが、良い方向に予想を裏切ってくれた。
当然異動はあったようだが、大きく部署を変わっている人は少なく、行けば二の返事で「どうしてるの?」といってくれる。人によっては説教になったり、不在を確かめたり、業界ならではの気心のしれた会話がある。
この失われた十年というものをやはり考え直す。

たしかに、10年前いや20年前に遡ると仕入れの窓口は、新刊を持ち込む出版社の人間の数は減った。新刊の数は増えているが、版元が減っているような気がする。出版は新刊をつくり全国販売したければ(つまりマスメディアになるが)、大手取次のこの仕入れに商品を持ち込みどれだけ配布するか相談する。取次側はその相談を受け入れ会議でだいたい3日くらいで何部という部数を決定し返事をする。新刊委託はそれから6ヶ月書店店頭で売られるわけだが(実際はすぐ返品というのが悪循環)売れなければ返品されて出版社に戻ってくる。その間に広告や宣伝などをして出版社は売るわけだ。大ざっぱにいうとこうなる。
この配本ができる太いパイプがあるのは日本の取次の特徴で流通という太平洋戦争以前のインフラないしはその制度が残っているからだろうと思う。これが中国や韓国、北米、ヨーロッパではまた話しが違う。
太平洋戦争中は「日配」といったが、その日配が出版物は取り仕切った。その中にプロパガンダ的なものも当然あったろう。この日配は中国や朝鮮などへも入り込む。
流通は考えるとなかなか面白い。東アジアを取りまく流通もある。または、江戸時代は、流通のひとつの中心が大坂だったので、地方でとれた農産物や木綿、食器(陶磁器)などは船場などそれぞれの問屋のある河岸に上げられる。これらの流通を明治以降統制して会社組織にして国鉄や日通などになる。流通はけっこう面白い。

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本の製作

いま大きい本の仕事の一貫で製作に携わっている。予定を大幅に過ぎて、何回担当の編集者くんは、頭を方々に下げただろう。私は外部の協力者なので、手伝うだけだが。始まったころは、とにかく主体は君、編集者くんだから君主導でやってね、とよく言った。いまも遠慮勝ちな性格は変わらず、強く言わないと伝わらない場合がある。年は大きく変わるわけではないから、それも許されるところはあるのだが、たまにこちらもペースが崩される。ついなぁなぁの関係がよくないのだろうが、厳しくいかないといけないところは、きっぱり言うようにしている。それはあとでこちらが火傷をするからだ。
また、校正については、赤字の引き方が小さい。出たゲラに対して校正はそれをやった人の世界観が出ると思う。もう少しダイナミックにかつ知識は微細に進みたいものだ。これから伸びるのだろう。
さて、しかし彼はこれを一人ですべてやりその仕事なりを大きく把握しようとしている。それは間違いない。なかなか出来ることではないが、しかしオーバーワークになるのは当たり前だ。誰が悪いか、どこが悪いかは言わないでおこう。

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外注について

いつも外注に出すときにお願いしているとことがある。一応二人いるが、大体一人に絞っている。その人というか実は会社の社長さんだ。ご主人と会社をやっている。現場はご主人にまかせて、自分は会社を守っている。その人に、本のテキストの打ち込みなどをいつもお願いする。そうすると親戚にそれを回してやってくれる。本来はその親戚が全部できればいいのだが、なかなか諸事情がありできない。だから最後はいつもその方がまとめてフィニッシュとなる。
しかしその仕事ぶりがいい。隔靴掻痒というのはこういうことだと思う。人間間違いはつきものだから間違いはある。しかし、その数よりはるかにここまで見てくれたという感じのほうが多い。つまり勘所を押さえているということだろうか。だからいつも安心してまかせられる。そこがいい。

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浮世絵

もう2年になるが、浮世絵関連の仕事をしている。
項目や執筆依頼、原稿の催促などは大方終わった状態での仕事の依頼だったので、その点は助かる、がいざ、大量の項目やその整理をこなすと相当問題が出てくる。
これは端からわかっていたのだが、うまくいかなかった。打ち合わせ、了解事項が出来ていない。
この状態で、万人が読むものを作れといわれてなかなかスムースには事は運ばない。
仕事とはそういうものだ、となるが、しかし、出来る範囲のことはある。

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