歴史記述と文体
なんにでも当てはまるが、文章は上手いほうが読みやすい。では、上手いとはどういうことか、読ませるとはどういうことか、考えてみたほうがいい。まず、分野を歴史に限ってみよう。もっとも歴史を体言している記述は何か。それは何をおいても年表がそうだ。歴史科学で実証された事実ないしはそれに準じる事象を年代順に羅列していく記述。しかし、その列記までが大変だ。立論あり推論ありないしはパラダイムを考えなければならない。その記述は自らを納得させかつ読む者つまり批評を喚起させなければならない。文体はそこに現れる。推論した事象がさてそうなのか批評を待ち修正していく。そこには時代を遡り時代を大きく跨ぐこともあろう。一年代を微に入り細に入り検証していく作業もあろう。そういう鍛錬された柔軟かつ鋼のような強い文章が求められるのだ。そこに哲学的空隙があってもいい。工学的摩擦のような事象と事象がぶつかることがあってもいい。端的に言えば、概念のもとになる観念、思念、思考、を文字に変換しつなげていき、その概念を歴史事象にぶつけその真贋の判断をするわけであり、間違いなければ、その事象を記述していく。おおまかに書いたが、記述は大変重要ということである。
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