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2008年5月

ホームページ開設

ようやくホームページを開設することができた。いまは便利な世の中だ、としみじみ考える。いろいろマニュアルはあるが、読んでいいところは、コードの部分であとは、とにかくさわってみないとわからない。
これから、このホームページに追加していかなければいけないことが多くある。まだ不具合があるが、一応アップしてみる。
http://homepage3.nifty.com/koorosha/
柴桂子著の『近世女旅日記事典』は、私が企画したが東京堂出版発売なので、そちらから買える。
ぜひ、ご笑覧いただきアドバイスを頂ければと思う。

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不如意か?

最初に就職したA書房の社長、Hさんがよく2月になると「不如意になるんだよ」と言っていた。なんとなく理解できたが、なんとなく理解できなかった「不如意」。
私の場合、2月から4月になると、とにかく眠くなる。眠っても眠っても眠い。布団で眠るわけにいかず、椅子の上で、足をデスクの上に乗せて寝る。昼間だからあまり夢見心地はよくない。いやあまり夢は見ないが、見る場合は、眠りが浅いのだろう、現実感と睡眠のなかがあやふやだ。
ことしは、張り切りすぎたのもあるが、とにかく忙しく、眠れなかった。当たり前だと言われるとそうだが。サラリーマンは眠ってなんぼだろう(笑)
私はサラリーマンではないが、時間の取り方や過ごし方は分かるつもりだ。
特にこういう仕事は眠くなったらとことん眠い。
だからそういう場合は、負ける。負けて、眠る。
この時期は、生産活動が落ちるのは誰しもらしい。
だからあまり気にはしていないが、人間にも冬眠があるのか。
ようやくここに来て少し時間が取れるようになった。遅れてやってきた、冬眠。とにかく眠い。いきつけのマッサージに行くと、目が半分になって帰ってくる。
ようやく訪れたこれが「不如意」か。

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飯田橋から駿河台へ

昨日は懸案の大手取次会社に行ってきた。以前の会社にいたときは割によく行ったものだ。なかよくつきあって貰った関係者が多い、が独立してから無精をの連続だったからどうだろうと思っていたが、良い方向に予想を裏切ってくれた。
当然異動はあったようだが、大きく部署を変わっている人は少なく、行けば二の返事で「どうしてるの?」といってくれる。人によっては説教になったり、不在を確かめたり、業界ならではの気心のしれた会話がある。
この失われた十年というものをやはり考え直す。

たしかに、10年前いや20年前に遡ると仕入れの窓口は、新刊を持ち込む出版社の人間の数は減った。新刊の数は増えているが、版元が減っているような気がする。出版は新刊をつくり全国販売したければ(つまりマスメディアになるが)、大手取次のこの仕入れに商品を持ち込みどれだけ配布するか相談する。取次側はその相談を受け入れ会議でだいたい3日くらいで何部という部数を決定し返事をする。新刊委託はそれから6ヶ月書店店頭で売られるわけだが(実際はすぐ返品というのが悪循環)売れなければ返品されて出版社に戻ってくる。その間に広告や宣伝などをして出版社は売るわけだ。大ざっぱにいうとこうなる。
この配本ができる太いパイプがあるのは日本の取次の特徴で流通という太平洋戦争以前のインフラないしはその制度が残っているからだろうと思う。これが中国や韓国、北米、ヨーロッパではまた話しが違う。
太平洋戦争中は「日配」といったが、その日配が出版物は取り仕切った。その中にプロパガンダ的なものも当然あったろう。この日配は中国や朝鮮などへも入り込む。
流通は考えるとなかなか面白い。東アジアを取りまく流通もある。または、江戸時代は、流通のひとつの中心が大坂だったので、地方でとれた農産物や木綿、食器(陶磁器)などは船場などそれぞれの問屋のある河岸に上げられる。これらの流通を明治以降統制して会社組織にして国鉄や日通などになる。流通はけっこう面白い。

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神保町

独立してから、神保町をはじめ神田で仕事する機会が大変多い。もう8年前かY社の辞典編集部に嘱託で行った時は慣れない仕事と効率を求められてとにかく時間に追い立てられていた。
まだその当時は私もPCを持たず、PCを使った編集の仕事を覚えようと必死だった。某工学研究所の○さんがきてプログラミングをそのつど打ち込んだり修正しながら作業していてからまだのどかだったかもしれない。インターネットやメールなどはいまほど普及していなかった。ただワープロにインターネット機能が付いていたりして、接続さえすれば何かは見られる。そういう機械が主流だったと思う。
その時の仕事はというと、日本全国の古墳の図をリライトしたり、単行本を合間をみて作った。索引取りはその時に徹底的にやったので今でも役に立っている。やり方の原則は今もそんなに変わらない。PC上でタグを付けていくのとゲラにマーカーを引いていくのとは大差ない。
昨日今日と明日、神保町だ。このあたりは昼は本当に人が多い。特に三井ビルが出来てから俄然多くなった。今日も以前のY社にいた頃皆で仲良く行ったりした通りで昼を食べた。

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歴史記述と文体

なんにでも当てはまるが、文章は上手いほうが読みやすい。では、上手いとはどういうことか、読ませるとはどういうことか、考えてみたほうがいい。まず、分野を歴史に限ってみよう。もっとも歴史を体言している記述は何か。それは何をおいても年表がそうだ。歴史科学で実証された事実ないしはそれに準じる事象を年代順に羅列していく記述。しかし、その列記までが大変だ。立論あり推論ありないしはパラダイムを考えなければならない。その記述は自らを納得させかつ読む者つまり批評を喚起させなければならない。文体はそこに現れる。推論した事象がさてそうなのか批評を待ち修正していく。そこには時代を遡り時代を大きく跨ぐこともあろう。一年代を微に入り細に入り検証していく作業もあろう。そういう鍛錬された柔軟かつ鋼のような強い文章が求められるのだ。そこに哲学的空隙があってもいい。工学的摩擦のような事象と事象がぶつかることがあってもいい。端的に言えば、概念のもとになる観念、思念、思考、を文字に変換しつなげていき、その概念を歴史事象にぶつけその真贋の判断をするわけであり、間違いなければ、その事象を記述していく。おおまかに書いたが、記述は大変重要ということである。

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本の製作

いま大きい本の仕事の一貫で製作に携わっている。予定を大幅に過ぎて、何回担当の編集者くんは、頭を方々に下げただろう。私は外部の協力者なので、手伝うだけだが。始まったころは、とにかく主体は君、編集者くんだから君主導でやってね、とよく言った。いまも遠慮勝ちな性格は変わらず、強く言わないと伝わらない場合がある。年は大きく変わるわけではないから、それも許されるところはあるのだが、たまにこちらもペースが崩される。ついなぁなぁの関係がよくないのだろうが、厳しくいかないといけないところは、きっぱり言うようにしている。それはあとでこちらが火傷をするからだ。
また、校正については、赤字の引き方が小さい。出たゲラに対して校正はそれをやった人の世界観が出ると思う。もう少しダイナミックにかつ知識は微細に進みたいものだ。これから伸びるのだろう。
さて、しかし彼はこれを一人ですべてやりその仕事なりを大きく把握しようとしている。それは間違いない。なかなか出来ることではないが、しかしオーバーワークになるのは当たり前だ。誰が悪いか、どこが悪いかは言わないでおこう。

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五月の街角で

今日有楽町で、映画「I'm not there.」を観ての帰り、大手町まで歩こうと私がいい、皇居お濠沿いを歩いた。
ちょうど、中国から、胡錦涛国家主席が来日し、遠かったがすぐ分かる右翼のそれが声高く響いていた。
写真にも挙げたか、第一生命ビルは東京都の文化財にもなっているらしく、綺麗にたたずんでいる。前の、いわばファサードというか整然と並んだ神殿形式の丸い柱が印象を強くする。
西陽が当たってそれぞれの陰影が濃くなっている時間帯。入り口などはあまり関係ないような、外壁というか外が大事という、近代建築の神髄か。写真ではあまり大きく写っていないが、実際にみると結構大きく感じる。

五月の街角で、は谷川俊太郎の詩集の解説を読んでいていいなと思ったフレーズだ、

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